「――はっ!」
「ぎゃあああああ!!!!」

 刀が夜闇に閃き、直後に舞い散る血飛沫が武蔵の顔を打つ。
 一人の断末魔は別の一人の動揺を誘い、その隙がその者の命取りとなった。

「ザイエス!?」
「よそ見してると!」
「しま――があああああ!!」

 鍔迫り合いから躊躇なく、ラピュセルは剣を相手の腹に突き立てた。
 そのまま肉を裂きながら剣を横に振り抜き、返り血も気にせずすぐさま次の敵へと斬りかかる。

 ラピュセル、武蔵、マーチル、ルーミン。この四人での逃亡生活が始まってはや半年。四人の手配書は当に出回り、特にラピュセルと武蔵の首に懸けられた金額は、足せば一生遊んで暮らしてもなお余るほどのものであったため、ガレイル軍に加えて金目当ての賞金稼ぎからもつけ狙われていた。
 そして現在。アルティアの東端、人の手がまったく入っていない深い森の中でラピュセル達は賞金稼ぎの集団に襲われた。

「ラピュセル様!」

 ラピュセルの死角に回り込んでいた敵を、マーチルの放った雷の魔法が直撃する。

「テンマっち、上!」

 敵集団のうち、半分以上の相手を一人で引き受けていた武蔵を頭上の木の枝から弓で狙っていた数人の男を、ルーミンが同時に射た数本の矢が過たず狙い撃ち、その全てを叩き落とす。

「敵の数は?」
「だいぶ減った。最初の、ざっと四割ってところか」

 それぞれの得物を構えながら四人で背中合わせになりつつ、ラピュセルの問いに武蔵が答える。
 既に相当数の敵を倒したことは、周りに横たわる多数の死体が証明している。だが、それでも敵はまだ多かった。四人を取り囲み、じりじりと間合いを詰めてくる。

「この程度なら俺一人でもなんとかなる。お前達は先に行け。これ以上はもう厳しいだろう」
「……それはそうだろうけど。でも私はまだだいじょ――ごほ! ごほ!」
「! ラピュセル様!」

 突如表情を歪ませ咳込み、口を押さえてうずくまるラピュセルを、マーチルとルーミンが慌てて支える。

「やはりもう無理だ。二人とも」
「……わかりました。ムサシさん、気をつけてくださいね」
「落ち着いたらあたしが合図するから」
「ああ。頼む」

 武蔵が走り出す。もっとも多くの仲間を倒した敵の行動に、賞金稼ぎの集団はこぞってその動きを追った。
 その隙を、マーチルの魔法とルーミンの弓が狙い撃った。武蔵に気を取られていた二人の正面の数人が一瞬のうちに倒れ伏す。

「お姉ちゃん!」
「ええ! さあ、ラピュセル様。つかまってください」

 うずくまったまま肩で荒い息をつくラピュセルの腕を取り、自らの肩に回して歩き出す。人一人を支えながらの移動のため速度は出ない。

「魔女が逃げるぞ!」
「逃がすな! 近くの奴は回り込め!」
「させん!」

 その進路を阻む動きを見せた敵を、すかさず武蔵が狙って駆ける。その武蔵を阻もうとする敵を、ルーミンが射かけて牽制した。

「ルーミン! 行くわよ!」
「うん! テンマっちまた後でね!」
「ああ、行け!」

 言いながらも、武蔵は刀を振るう手を休めない。両手に握る二刀を持って、三人の敵を同時に斬り伏せた。



 ラピュセルの体調が崩れ出したのは、ほんの一月ほど前からだ。
 天使の魔力をその身に宿すことは、そも魔力を持たない人間にとって毒を飲み続ける行為に等しい。
 耐え得るのは、天使の血を引き先天的に魔力を有している者だけだ。
 そしてラピュセルは、もともと天使の血を引く人間ではなかった。先天的には、マーチルの方がその力を宿すにふさわしい人間であると言える。
 ラピュセルの命は徐々に、しかし確実に蝕まれていた。
 思えば、彼女が王女として戦っていた頃から、その兆候は既に発露していたのだ。
 そして、遂にその影響は発作という形でラピュセルに牙を剥いた。
 何の前触れもなく突然激しい咳が出、立つことすらままならなくなる。咳が収まってもしばらくは呼吸も苦しいらしく、その場から動けなくなる。
 それでも最初は、その時以外に行動を制限されるほどではなかった。だが時が経つにつれ発作の起こる感覚は少しずつ短くなっていき、今は激しい運動をしても発作が起きるようになった。
 賞金稼ぎに襲撃されるようになったのはその頃である。
 いくら外套やフードで全身を隠しても、むしろだからこそ悪目立ちしてしまったのか、『血染めの魔女』がどこにいたという類の噂がそこかしこで広まりだしたのだ。
 そうして一度見つかってしまえば、状況はかくれんぼから鬼ごっこへ移行する。



「……」

 月夜に包まれた森に、静けさが戻った。
 武蔵の足元に倒れた男が、今の集団最後の一人。
 納刀しつつ周りを見回せば、死屍累々としか言いようのない惨状だ。
 武蔵が殺めた者が過半数。焼死体や氷漬けにされた者はマーチルが、矢が突き立った者はルーミンが仕留めた者たち。そして、ラピュセルによって斬られた者たち。
 自らを『血染めの魔女』と称して以来、ラピュセルは敵を殺めることを躊躇していない。そんな自分を好いてるわけでは無論なく、ただその罪を背負うことすら躊躇うようでは、これから先の戦いを生き抜くことはできないと理解しているのだ。

「なればこそ」

 せめて一つでも多くその十字架を請け負い、主君の荷を少しでも軽くすることが己が使命。主君にかかる火の粉を完全に遮断することこそ己が天命。
 武蔵の今は、それこそが全てであり、人生。
 ふと、視線を感じた。
 振り向くと、そこには少女が立っていた。
 空色の髪を垂れ流し、呆然と武蔵を、そしてその足元で息絶えた男を見つめている。

「――ムサシ……」
「! 戻ってきたのか!?」

 弱々しい主君の声に、思わずその少女への警戒を解いて振り返る。
 どうやら呼吸は回復したようだが、まだ一人で歩くのはおぼつかないらしく、マーチルとルーミンに支えられている。 「ごめんなさい。でも、あなたのことだからそろそろ終わってるだろうと思って……」

 実際その通りであったので、でかかっていた小言は溜息へと変わるだけで終わる。

「あの子は?」
「わからん。どうする」
「……行きましょう」
「いいのか?」
「もう今更でしょ。ここまで来たら、あとは真っ直ぐ行くだけよ」
「心得た」

 そして、四人は少女に背を向けた。
 ただひたすらに前を見る。引き返せない。引き返さない。
 そんな決意を表すように、二度と後ろは振り返らなかった。

 少女の慟哭が哀しく響いたのは、四人がその場を去って久しく後のことであった。


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