聖暦2892年 アルティア王国 パラン城




「――いたぞー!」

 燃え盛る通路。五人の護衛の騎士と共に駆けていると、背後から敵兵の叫び声。
 肩越しに振り返ると、その声を聞きつけた多くの敵が、手柄を求めて殺到してきている。

「くそっ! ピエール、アルフレッド、我らはここで敵を食い止めるぞ!」
「はっ!」
「なっ!? あの人数相手に三人でなんて無謀だわ! あなた達も一緒に――」
「姫様」

 立ち止まり、剣を取り。迫る敵を睨み据えながら、しかし紡がれる言葉は穏やかで。

「我らここで死すとも、貴女様さえご無事ならば未来はあります。
ですがここで御身が捕らえられれば、その未来までも断たれてしまう。
それだけは避けねばなりません」
「それは……でも!」
「志半ばとはいえ、己が魂がその未来の礎となるは本望。
我らをお想いくださるのであれば、この本懐を無念に沈めてくださるな」
「ウォルス隊長……」
「さあ、行かれよ……どうぞご無事で!」

 最後に一言そう言い残し、三人の騎士は駆け出した。
 待ち受けるは討死。だというのに、三人の背中はみな誇らしく。
 その誇り、胸に抱いて生き延びるはもはや義務。

「行くわよ、二人とも!」
「はいっ!」

 気高き騎士に背を向けて、走る。
 しばしして聞こえる剣戟の音。多勢に無勢、そう長く保つはずもなく。
 やがて耳に響くのは、生まれ育った城を焼く炎と、背後から迫る無数の足音のみだった……。

















フランシール大陸南西部。
四方を高き山脈に囲まれた国、アルティア王国。
その地理ゆえに建国以来大きな戦は無く、実に3000年にも渡る平和を享受していた。
しかし、その平和は唐突に、そして急速に崩壊する。

聖暦2892年。アルティア王国より西の国、ガレイル帝国が山を越えて侵攻を開始。
その圧倒的な軍事力を前に、ろくな戦を経験していないアルティア王国騎士団は、志はあれど実力が伴わず、緒戦から総崩れとなった。
開戦からわずか3週間。ガレイル軍はアルティア王国首都パランを占領。
次いで、国王が立てこもるパラン城への総攻撃を開始した。
国王は最後の抵抗を試みるも、始まる前から見えていた賽の目は変わらず、討死。
その瞬間、アルティア王国は崩壊した。

――――だが、希望の種は残る。

















「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 城を脱出し、降りしきる雨の中、無我夢中でここまで走った。
 肺が痛いほどの息切れ。けれど安心するのはまだ早い。
 息を整えつつ周囲を見回す。鬱蒼とした森の中、この雨では、人はおろか小動物の気配さえない。

「なんとか撒いたかしら」

 つい先ほどまでは背後から聞こえていた多数の足音と怒声。
 しかし今は、聞こえるのは雨と風の音だけ。
 だがそれは、共に城を脱出した騎士――そして数少ない友である二人の少女のおかげだ。

「あの二人は……」

 今しがた自分が駆けてきた、道なき道を見やる。
 木々と夜闇によって遮られた景色のその向こうでは、今も二人が命を懸けて戦っている。
 他の誰でもない、自分を逃がすためだけに。必ず生き残ると約束して。

「……行かなきゃ」

 戻りたいのが本音。二人が気がかりで仕方ないのが本心。
 だが、だからといってのこのこと戻るなどという愚は犯さない。
 二人の、いや、これまで自分を助けてくれた全ての人の挺身を無駄にしないこと。
 それだけが、今の自分にできること。
 己の無力を悔やむ暇があるのなら、一歩でも前に進むこと。
 ただ自分にそう言い聞かせ、再び前へと歩を進めた。





(ここは)

 夜はなお深く、雨は一層強く降りしきる。それでも、その場所は記憶に残っていた。

(この辺り、確か今度騎士団が盗賊狩りをするはずだった場所……)

 間違いない。この辺りでの師との剣の稽古中、同行の騎士が近隣の村人からそんな話を聞いたと話していて、その後調査と討伐のための兵を派遣するということが決まったはずの場所。
 だがそのすぐ後にガレイル帝国との戦が始まってしまったため、盗賊狩りは行われていない。
 もし今、その盗賊と出くわしてしまったら……。

(……迷ってる場合じゃない。早く行かないと)

 そうだ。盗賊がいるかもしれないといって、ただ怯えているわけにもいかない。
 盗賊とガレイルのどちらがマシかと問われれば、まず間違いなく前者だ。
 それに、自分だって戦えないわけじゃない。
 右腰の剣を無意識に掴みつつ、泥を吸って少し重くなったブーツを進めた。





「――おおっと。待ちな」

 二人の言葉とうろ覚えの記憶を頼りに歩いていると、前方に三人の男が立ち塞がった。
 雨だからか外套で全身を包んでいるが、フードから覗く顔には卑しい笑みが張り付いている――はず。暗くてよく見えないが、そんな気がした。
 まず間違いなく盗賊だった。

「よお姉ちゃん、こんな雨の中一人でお散歩たあ寂しいねえ」
「……急いでるの。邪魔しないでくれる?」

 三人だけなら怖くは無い。けれど相手にしている暇もない。
 しかし、ああそうですかじゃあどうぞ、などと言ってあっさりと見逃してはくれないだろうことは想像できる。だから、剣はいつでも抜ける体勢に。

「そう連れないこと言うなよ。旅は道連れって言うだろ?」
「道連れにする相手くらい自分で選ぶわ。あんたたちじゃ役不足なのよ」

 普段の自分なら、相手が誰であれこのような物言いはしない。
 だが早く行かなければという焦りが、眼前の相手への苛立ちとして表れていた。

「どうやら、こいつは自分の状況がわかっていないとみえる」
「どうしますお頭? ヤっちゃいますか?」

 その口調から、フードの中でニヤニヤと笑っている様子が容易に想像できた。

「そうだな。極力傷つけるなよ。後のお楽しみが減るからな」
「へい!」

 中央の男がダガーを取り出した。隣の二人も同じくダガーを取り出す。
 ガレイルならいざしらず、こんな所でこんな奴らに負けるわけにはいかない。
 一度大きく深呼吸すると、左手で剣を抜いた。





 結果、なんとか三人には勝った。だが、

「ん〜〜〜〜〜〜!! ん〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 忍び寄っていた三人の仲間に気づかず、背後から羽交い絞めにされ口を塞がれる。
 なんとか逃れようと暴れても、背後から腕を封じられてはそれ以上のことはできず。

「へへ。そのまま押さえてろよ」

 下卑た笑みが見えるほどの至近距離まで、盗賊たちがにじり寄ってくる。
 女にとって、ある意味生命の危機よりも危険な状況。
 そのことを本能的に悟り、なお強く暴れるも意味はなく。
 正面の男の無遠慮な手が、いよいよ体に触れようとしていた。
 その現実を直視できず、自然強く目を瞑り、

「えっ…なっ――」

 一瞬、自然のものではない、不自然に強い風が頬を撫でた。
 思わず目を開け、見えた光景に目を見張る。

「俺の腕……え?」

 わけがわからず、正面の男は自分の両腕を――何故か肘から先が無くなった両腕を呆然と眺めている。
 次の瞬間。

「――――ぎゃああああああああああああ!!!」

 その男の絶叫が、森の中に響き渡った。
 それは腕を失くしたことによる痛みと恐怖からの悲鳴か。
 ――あるいは、体を縦に真っ二つに斬り裂かれて絶命する際の断末魔か。
 それを判断できた者は、おそらくこの場にはいなかった……ただ一人を除いて。

「な、なんだ貴様は!?」

 盗賊たちのリーダーが声を裏返させつつも怒鳴る。
 その視線の先には、今の今までこの場にはいなかった、新たな人物の姿があった。
 雨に打たれてなお血の滴る片刃の剣を携えた、明らかにこの国の――いや、この大陸の出身ではないと一目でわかる奇妙な出で立ちの、少しだけ小柄な体躯の男性。

















 それが、後に「血塗りの魔女」と称される少女と、その「魔女」に付き従って彼女を支え、周囲から「魔女の懐刀」と呼ばれることになる異国の剣士の出会いだった。








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